発見!いわた 「磐田の著名人」磐田の著名人

青山 宙平 (あおやま ちゅうへい)
1818(文政元)年~1910(明治43)年

政治家、社会福祉行政の先駆け
『郷土の生んだ偉人』より

遠江国豊田郡中泉(現磐田市中泉)の人。家は代々旅宿(たびやど)業を営む。

1845(嘉永7)年御前崎にアメリカの船が渡来の際は、中泉代官の命で民兵を組織し海防に尽力した。

1873(明治6)年浜松県第2大区副区長、1877(明治10)年静岡県第11大区長、1879(明治12)年磐田・豊田・山名郡長を歴任。地租改正の際には、県民会を設立させ、その副議長に選ばれる。浜松廃県後も遠州州会副議長として全州民を指導し、目覚ましい活躍をした。

さらに、1857(安政4)年中泉代官が設立した恵済倉の米穀を資産金貸付所の資金に組み入れ、その利潤を中泉小学校、公会堂建設その他にあてて公益に尽くした。

1877(明治11)年には資産を背景に静岡県内初の国立銀行の設立に協力した。また、1869(明治2)年に出された前島密(まえじまひそか)の「普済院規則」に従い、奉仕活動を行って身寄りのない生活困窮の大人と子供、身心障害者の救済に尽力した。東海道本線の着工に際しては、土地を提供し中泉駅舎(現 磐田駅)に用地を提供した。

参考文献

  • 静岡新聞社出版局 『静岡県歴史人物事典』 静岡新聞社 1991年
  • 静岡県 『静岡県人物志』 静岡県 1924年
  • 磐南文化協会 「郷土誌 磐南文化 第27号」 磐南文化協会 2001年
  • 磐田市史編さん委員会 『図説磐田市史』 磐田市 1995年