発見!いわた 「磐田の著名人」

荒井 信敬 (あらい しんけい)

1825(文政8)年~1911(明治44)年
掛塚灯台の建設者
araisinkei_p 荒井 信敬(あらい しんけい)

江戸下谷(したや)の安藤対馬下屋敷に武田又右衛門の3男として生まれる。幼名里吉。後に徳川家御用人荒井治右衛門の養子となり、小普請世話役を務める。

明治維新後、1869(明治2)年、山名郡浅羽村(現袋井市)に移住し、茶園の開墾に従事する。その後1880(明治13)年、豊田郡駒場村(現磐田市駒場)に移り、開墾に従事した。当時天竜川河口の近辺では、船の遭難が多く、それに心を痛めた信敬は、灯台の建設を思い立ち、私財を投げ打って、これに取り組んだ。地元の村人からの妨害を受けながらも、やがて計画通りの高さ24尺(約7メートル)の木造高灯籠式灯台を完成させた。この灯台は、1880(明治13)年から、1885(明治18)年、豊長社(ほうちょうしゃ・船主、廻船問屋らによる掛塚港保持のための組織)に移管されるまでの間、彼個人の力で運営されていた。この間、自弁した金は建設費、点灯費など747円87銭1厘といわれる。

酒好きの彼は、灯台の運営費用を捻出するため、酒代を倹約し、底が丸い「改心棒」と名づけた杯を使用し、いつも1杯しか飲まなかったという。これよりこの灯台は別名「改心灯台」と呼ばれた。

これに代わる官営の掛塚灯台は、1891(明治29)年に起工式が行われ、翌年3月に改心灯台より北西10間(約18メートル)のところに建設された。

参考文献

  • 竜洋町教育委員会 『郷土読本「ふるさと竜洋」改訂版』 竜洋町教育委員会 1995年
  • 静岡新聞社出版局 『静岡県歴史人物事典』 静岡新聞社 1991年
  • 竜洋町教育委員会 『掛塚湊物語』 竜洋町教育委員会 1996年