発見!いわた 「磐田の著名人」

伊藤 次平 (いとう じへい)

1889(明治22)年~1963(昭和38)年
磐田市豊浜地区(旧磐田郡豊浜村)における温室栽培の創始者
温室でのキュウリなど野菜の促成栽培のほか、メロンの栽培を手掛け、メロン産地化の先駆けとなる
伊藤 次平(いとう じへい)

大正初期、豊浜村の住民の多くは半漁半農で生活していたが暮らし向きは楽ではなかった。そんな折、東京など都会では、冬期にキュウリ等が高値で取引されると聞いた照作は1916(大正6)年に油障子によるフレームで温室を作り、いわゆる温床栽培によるキュウリ、ナスの栽培を試みた。

豊浜村農会も温室による促成栽培が副業に有望なことに着目し、当時20代の次平、照作、真一、孝作の4青年も先進地の視察を行った。

1917(大正7)年、治平ら4名はガラス温室を建設してキュウリの栽培を始めた。温室の建設は豊浜村中野の大工、山下忠一に依頼。当時は温室を建てた経験のある大工はおらず、先進地の温室を見学するなどして完成させた。

最初は温室栽培の指導者や手引書もなく失敗を繰り返したが、試行錯誤しながらもキュウリの栽培に成功。温室経営に懐疑的だった人々にも副業として成り立つことが認知されはじめた。その後、徐々に温室経営者も増え、豊浜はキュウリの村と称されるまでになる。

1918(大正8)年には、当時一般的ではなかったメロンの栽培を始めた。初めこそ認知度も低く、甘み不足など問題もあったが、品種改良も進み、需要の増加とともに栽培農家も増え、静岡メロンの一大産地として発展した。

1922年(大正11年)、経営者の増加に伴い、4名が中心となり丸豊温室園芸組合を創立。4名は組合長や役員を務めた。

1923(大正12年)には東京が関東大震災に見舞われるも、促成栽培のキュウリやナス、メロン等は高値で売れ、その後の復興景気に支えられて需要が伸び、副業的だった温室栽培は経営の中心となっていき、現在の温室栽培の礎となった。

参考文献

  • 福田町史編集委員会 『郷土の先覚者たち』 福田町教育委員会 1980年
  • 静岡県野菜花き園芸発達史編纂委員会 『静岡県野菜花き園芸発達史』 静岡県農業試験場 2001年
  • 静岡県温室農業共同組合静支所 『クラウンメロン60年のあゆみ』 静岡県温室農業共同組合静支所 1979年
  • 鈴木 直之 「世界に誇るメロン王国」 「磐南文化 第10巻」 磐南文化協会 1984年 所収
  • 「東海展望」 1957年 自治タイムス社
  • 「東海展望」 1963年 自治タイムス社