発見!いわた 「磐田の著名人」

大久保 忠尚 (おおくぼ ただなお)

1825(文政8)年〜1880(明治13)年
見付宿(現磐田市見付)にある総社(そうじゃ)淡海国玉神社(おうみくにたまじんじゃ)の神官。国学者。
『解説見付学校』より

淡海国玉神社神官大久保忠照の子として生まれるが、4歳で父と死別し、気丈な母美禰子に育てられる。13歳で浜野村(現掛川市)の国学者八木美穂(よしほ)に入門し、27歳まで学んだ。忠尚の勤皇精神は、八木とその後師事した掛川の石川依平(よりひら)によって培われた。その後、神官として務めるかたわら、自宅で塾を開き、地元の青年たちに国学を教え、門下生は多い時には200人を超えたといわれる。

1864(元治元)年4月、募った寄付金と私財それぞれ百両ずつ計二百両をもとに「磐田文庫」を設立した。磐田文庫には、和漢の版本、写本約850冊が収められ、広く一般に公開された。

明治維新の際、遠州各地の神官らで結成した「遠州報国隊(えんしゅうほうこくたい)」に、長男の初太郎(春野、後の陸軍大将・男爵)とともに参加し、留守隊幹部を務め、東征軍に協力した。維新後上京、招魂社(現在の靖国神社)の社司となり、1870(明治3)年4月、招魂社祭典取調所に勤めた。1872(明治5)年、海軍省に転じ、海軍主計大監少書記官に任ぜられた。1880(明治13)年56歳で没。

忠尚の創設した磐田文庫は、梁間2間1尺(3.9メートル)、桁行3間1尺(5.7メートル)、校木(あぜき)造りで、見付(馬場町)の旧見付学校の裏に現存し、旧見付学校、旧学校敷地とともに1969(昭和44)年、国史跡に指定されている。1873(明治6)年からの見付学校新築工事の背景には、見付区長兼学区取締古澤脩(ふるさわ おさむ)など、多くの彼の門下生の影響力があったと考えられ、磐田文庫と見付学校はきわめて関係が深い。1879(明治12)年、磐田文庫の建設資金が大久保家によって償却され、磐田文庫とその蔵書は見付学校に寄付された。

参考文献

  • 静岡新聞社出版局 『静岡県歴史人物事典』 静岡新聞社 1991年
  • 磐田市史編さん委員会 『磐田市史史料編2近世』 磐田市 1991年
  • 磐田市史編さん委員会 『磐田市史通史編下巻近現代』 磐田市 1994年
  • 磐田市史編さん委員会 『図説磐田市史』 磐田市 1995年
  • 磐田市教育委員会文化財課、磐田市旧見付学校 『解説旧見付学校』 磐田市 2000年
  • 磐田市教育委員会文化財課『磐田の文化財』 磐田市教育委員会 2002年