発見!いわた 「磐田の著名人」

大林 雄峯 (おおばやし ゆうほう)

1829(文政12)年〜1893(明治26)年
僧侶・教育者

大林雄峯、俗名藤見勇蔵(ふじみゆうぞう)は、1829(文政2)年2月15日に愛知県に生まれ、1852(嘉永5)年に下野部村(しものべむら・現磐田市下野部)東谷山玉林寺の住職となり、1853(嘉永6)年には同村龍知山清源庵へ転出した。この頃、合代島村(ごうだいじまむら・現磐田市合代島)の人達から頼まれて寺子屋教育の先生となったようである。

雄峯は、学問・識見が豊富で、心が大きく物事にこだわらない人物であったという。子どもたちをいつくしみかわいがるとともに、物事に厳正で、熱心に指導したため、子どもたちの進歩も著しかった。このため、寺子として入門し指導を受けたいと希望する子どもが多くなり、壱貫地村(現磐田市壱貫地)・下野部村・合代島村三か村から入門するものは五十余名をかぞえることもあったという。その後、慶応年間(1865年〜1867年)に還俗して藤見勇蔵と改名した。病気のため1893(明治26)年2月14日死去した。

1916(大正5)年、大箸五郎作ら教え子たちは、恩師の徳を慕って合代島に碑を建設した。その趣意書には「当時はまだ文化も開けておらず、教育の機関も整備されていない時であったにもかかわらず、多大の成績を挙げたのは大変まれな事実であって、国家に貢献した功績と、個人に与えた功労とは誠に偉大というべきである。」と述べられている。現在この碑は磐田市上野部の天竜院に移されている。

参考文献

  • 豊岡村史編さん委員会 『豊岡村史 通史編』 豊岡村 1995年
  • 豊岡村史編さん委員会 『豊岡村百話』 豊岡村 1996年