発見!いわた 「磐田の著名人」

長津 久三郎 (ながつ ひささぶろう)

1875(明治8)年〜1960(昭和35)年
政治家・開拓者

1875(明治8)年4月、豊田郡上野部村栗下(現磐田市上野部)に生まれた。早稲田大学を卒業し、33歳のとき野部村村長に就任し、1908(明治41)年から11年までの二期村長を務めた。

その頃、三方原北方の引佐都都田村(現浜松市北区都田町)の賀奈原の土地60町歩を購入し開墾を始めた。開墾地には小さな松林が広がり、密生した熊笹・小石混じりの赤土・水不足などの悪条件とのたたかいで、賀奈原に移住した十三人衆だけでは開墾も進まないため、地元の都田村や周辺の村から農家の人を雇った。多いときは300人ぐらいが参加したという。蒟蒻(こんにゃく)・甘藷(かんしょ)・馬鈴薯(ばれいしょ)・トマト・キャベツの栽培を行ったが、どれも上手くいかなかった。トマトは当時独特の臭いが嫌われ、キャベツの生産は良かったがほとんど売れなかったという。馬鈴薯・甘藷は出荷ルートがつかめず困窮したため、澱粉工場(でんぷん)を建設したがこれも不調に終わった。他に、次郎柿の果樹栽培、たくあん漬けの生産なども行い、これらは一定の収益を得ることができ、数百頭を飼育した養豚は、堆肥を取る目的であって効果があり、豚そのものも値売りができて順調であった。しかし、開拓地は強い酸性土壌で多量の施肥(せひ)を必要としていたためその出費が重なった。また当時ではあまり普及していなかったものを栽培したため収益が上がらす、結局1926年には倒産し、開墾地等が競売に付されてしまったという。

長津はこの間、県会議員を一期つとめ、また1925(大正14)年から29年まで再び野部村村長に就任している。

1960(昭和35)年4月11日、静養先の長野県上田市にて死去。享年85歳。

浜松市北区都田町に開拓記念碑が建立されている。

参考文献

  • 岩崎道夫 『とよおかものがたり』 豊岡村 1984年
  • 岩崎道夫 『豊岡物語 増刊号』 豊岡村 1988年
  • 豊岡村史編さん委員会 『豊岡村史 通史編』 豊岡村 1995年