発見!いわた 「磐田の著名人」

前嶋 密 (まえじま ひそか)

1835(天保6)年〜1919(大正8)年
明治初期の中泉奉行、日本の近代郵便の父
「図説 磐田市史」より

越後国頸城郡(くびきぐん)下池部村(現新潟県上越市)の豪農、上野家に生まれた。

13歳で江戸に出て、医学・蘭学を学びながら西洋砲術や航海術を学び、さまざまな藩で職を歴任。幕臣前島家の養子となり、前島来輔(らいすけ)を名乗る。大政奉還後、駿河藩公用人となり、1869(明治2)年遠州中泉奉行となる。

中泉奉行時代としての前嶋の職務は一般民政のほか、江戸から中泉奉行所管内に無禄で移住した旧幕臣の世話であった。そのため彼らに桑の栽培法や養蚕の方法を教えたり、子弟の教育に力を注いだ。

在職年数がわずか8ヶ月であった前嶋の業績のひとつに救院の設置がある。明治元年の水害などによる窮民の救済のため、中泉奉行所管内約200の寺院に救院の設置を要請した。管内仏教会では、中泉村泉蔵寺(せんそうじ)を仮の救院とし、運営も経費も寺院の手でおこなわれた。経営が困難な時もあったが、青山宙平(ちゅうへい)らの尽力もあり、1887(明治20)年まで存続した。この頃、前嶋密と名乗るようになったといわれている。

中泉を離れた後、前嶋は明治政府に仕え、日本の近代化に大きな貢献を残した。

参考文献

  • 磐田市史編さん委員会『磐田市史 通史編下』 磐田市 1994年
  • 磐田市史編さん委員会『図説 磐田市史』 磐田市 1995年
  • 朝日新聞社『朝日 日本歴史人物事典』 朝日新聞社 1994年
  • 新潮社辞典編集部『新潮日本人物事典』新潮社 1991年