発見!いわた 「磐田の著名人」

松村 淳高 (まつむら じゅんこう)

1840(天保11)年〜1893(明治26)年
matumurajunkou_p 『磐田の近代教育』より

遠江国山名郡久努西村鷲巣(くどにしむら わしず・現袋井市鷲巣)生まれ。

幼少時に御厨村(みくりむら・現磐田市鎌田)にある医王寺に預けられ、住職 伊藤淳岳(じゅんがく)の弟子となる。1872年(明治5)年学制頒布(がくせいはんぷ)がおこなわれると師淳岳と共に坊中(ぼうじゅう)郷学校を開校させた。1875年(明治8)年、医王寺住職となった淳高は、医王寺境内に坊中学校を開校させた。校舎の完成は見付学校より早く、磐田地方では最初の洋風校舎新築であった。また、校舎新築資金は淳高が全て負担し、その額は現在の金額で2億円を超える額といわれている。

1893(明治26)年、53才で淳高が亡くなった際、村人は頌徳碑(しょうとくひ)を坊中学校内に建立した。坊中学校の建物は1909(明治42)年火災により焼失し現存していないが、現在、頌徳碑は坊中学校の敷地跡に残っている

参考文献

  • 静岡県校長会 ほか 『郷土に尽くした人々2』 静岡県教育出版社 1983年
  • 西野綾子 『わが心の母校—遠州学校物語』 ひくまの出版 1979年
  • 磐田の記録写真集編集会議 『磐田の近代教育』 磐田市教育委員会 2004年
  • 磐田市史編さん委員会 『図説 磐田市史』 磐田市 1995年