発見!いわた 「磐田の著名人」

山下 政彦 (やました まさひこ)

1768(明和5)年〜1839(天保10)年
庄屋 国学者

豊田郡大当所(おおとうしょ)村(現磐田市大当所)に生まれる。幼名を武助(たけすけ)、政定、正彦という。家は代々大当所村の庄屋を務める。初代政豊は1570(元亀1)年〜1592(天正20)年頃浜松に住み、今川氏支配下の松下氏に仕えたが、松下氏国替え後1603(慶長8)年には大当所に移り、この地を開墾し住んだ。

政彦は8代目庄屋として村政に努めた。大当所地内の水田の耕地整理をし、農道や用水路を新しく作ったり、山間の土地に田畑を作るために灌漑用のため池をつくる作業を始めるなど私財を投入して公共事業を行った。また、大当所の領主である松平氏の命により、祖父政明の代から行った志都呂(しとろ)村(現浜松市西区志都呂町)での浜名湖岸の埋立工事や新田開発を完成させた。

また、政彦は幼い頃から和歌や俳諧に親しみ、1781(天明1)年に従兄である大谷(おおや)村(現浜松市天竜区大谷)の国学者内山真竜(うちやままたつ)に入門し国学の研究にかかわった。1789(寛政1)年には伊勢松阪の本居宣長(もとおりのりなが)に入門し、和歌や古学を学んだ。1803(享保3)年に出版された『東海道人物誌』(東海道品川宿から大津駅に至る53駅とその周辺の村々の文化人643人を紹介したもの)に「国学 和歌 名正彦 大当所山下武助」と紹介されている。1819(文政2)年から領主松平厚信の侍講(古学の先生)となり、代官職も勤め、苗字帯刀を許された。

参考文献

  • 豊岡村史編さん委員会 『豊岡村史 通史編』 豊岡村 1991年
  • 豊岡村史編さん委員会 『豊岡村百話』 豊岡村 1996年
  • 豊岡村社会科資料づくり委員会 『私たちの豊岡村』 豊岡村教育委員会 1994年
  • 山下康一郎 『清和源氏小笠原流遠江山下家系図』 山下康一郎 1989年
  • 静岡県教育委員会 『郷土の発展に尽くした人々 上巻』 静岡県教育委員会 1981年
  • 大須賀陶山 『東海道人物誌』 羽衣出版 2008年