トップページ > 磐田の著名人 > > 浅野 茂平

ここから本文です。

発見!いわた 「磐田の著名人」

浅野 茂平 (あさの もへい)

1828(文政11)年~1889(明治22)年
実業家

明治時代に最初の天竜川橋の架設に尽力した。

1828(文政11)年1月15日、遠江国長上郡川袋村(現磐田市川袋)に、内山清吉の次男として生まれる。1861(文久元)年、豊田郡中野町村(現浜松市東区中野町)の浅野茂兵衛より浅野家を相続した。当時の中野町村は天竜川の河口に最も近い重要な港(船着場)の一つであり、東海道の渡船場として参勤交代などで賑わっていた。

明治となり天竜川の渡船制限はなくなり、人々は川を自由に渡れるようになった。しかし、橋がかかっていないためにこれまで通りの渡船が使われていた。1868(明治元)年10月3日、維新後初めて京都から東京へ向かう明治天皇が天竜川を渡る際、茂平は鈴木謙一郎とともに川に舟を浮かべ、その上に板を並べて舟橋(ふなばし)をつくり、天皇の一行を渡河させることができた。

茂平はこのときの経験から、舟橋を常設し一般の人々も利用できるよう、1873年6月、鈴木謙一郎とともに浜松県庁から「舟橋架設並賃銭徴収」の許可を得て、1874年2月に東海道に舟橋をかけた。そして9月にはそれを木橋にかけ替えることができた。このできごとは周辺の地域へも波及し、明治初期には天竜川に多くの橋がかけられた。

茂平は1889(明治22)年2月2日、61歳で他界した。天竜川橋架設の先駆者として実績を称(たたえ)られ、その記念碑が中野町の旧東海道堤防に建てられた。碑は現在、浅野家の門前に移動されている。

参考文献

  • 磐田市教育委員会文化財課「新いわた 文化財だより 42号」
  • 磐田市教育委員会文化財課 2008年
  • 鈴木潔 「浅野茂平について」 鈴木潔 2010年
  • 竜洋町史編さん委員会『竜洋町史 通史編』 磐田市 2009年
このページの先頭へ戻る