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発見!いわた 「磐田の著名人」

村上 賢二 (むらかみ けんじ)

1883(明治16)年~1930(昭和5)年
実業家
『ふるさと竜洋 改訂版』より

1883(明治16)年、豊田郡豊岡村敷地(現磐田市豊岡)に、初代掛塚町長袴田金蔵の二男として生まれた。1894(明治27)年、小学校を4年で中退し横浜の洋銀取引両替商西村喜三郎商店へ丁稚奉公に入った。明朗実直な人柄が認められ周囲の信頼を得た。1905(明治38)年、村上太三郎の実姉の村上うめ、喜次郎夫妻と養子縁組し、養女・隆子と結婚して入丸商店を任せられた。村上太三郎の正道の教えに従い、堅実な経営手腕を発揮し、世間の信用を得て入丸商店の名声を博した。

村上賢二は「恩は一生涯著しているものでかえし得るものではない。有難いと思った気持ちをそのまま他人に遺し伝えてこそ万分の一の報恩になる。」との信条から、郷土の発展に尽くした。度々地元への寄進を行い、敷地区神明神社の社殿新築費や敷地区公会堂の新築費などを寄付した。

また、当時は道幅が狭く屈曲が多かった道路を自動車の通りやすい道路への改良を計画し、実弟と相談して道幅の拡張と直線化の施行を依頼した。この道路は1929(昭和4)年に竣工し、掛塚町(現磐田市掛塚)に寄付された。この道路は地元住民より感謝と親しみをもって「村上道路」と呼ばれている。

しかし、その翌年、惜しまれながら48歳で逝去した。

参考文献

  • 竜洋町教育委員会 『ふるさと竜洋 改訂版』竜洋町教育委員会 1995年
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