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発見!いわた 「磐田の著名人」

芥田 菊太郎 (あくた きくたろう)

1867(慶応3)年~1943(昭和18)年
教育者

豊田郡掛塚村(現磐田市掛塚)に生まれる。

小学校教員、校長を務め、退職後、民間企業に勤めたが、1922(大正11)年、退職。

翌年、自宅で「成蹊裁縫学園」を開き、妻・かねが若い女性を集め和裁を教えた。この頃から菊太郎の胸中には、中等学校設立の構想が練られていたという。

1929(昭和4)年11月、「有能な女子職業人の育成」を目指し、甲種4年制「浜松女子商業学校」(現浜松修学舎中学校・高等学校)を設置、文部大臣から認可を受ける。そして、翌年4月、旧元城小学校「国光館」を仮校舎に開校、同年11月、現在地である浜松市中区向宿町に新築移転した。

1943(昭和18)年3月、卒業式を終えたのち病に倒れ、亡くなった。享年76。

参考文献

  • 静岡県私学協会 「50年史」 1997年
  • 静岡新聞出版局 「静岡県歴史人物事典」 静岡新聞社 1991年
  • 浜松修学舎中学校・高等学校ホームページ
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