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発見!いわた 「磐田の著名人」

塚原 重應 (つかはら じゅうおう)

1821(文政4)年~1897(明治30)年
中泉学校初代校長

1821(文政4)年9月、徒士の組頭を務める幕臣の家に生まれ、16歳のときに家を継ぎ徒士となる。1844(弘化元)年から昌平坂学問所で学び、1867(慶応3)年に学問所附属師範に命ぜられた。

徳川幕府の瓦解にともない1868(明治元)年に駿河国(静岡県東部)へ移住し、浜松奉行所、中泉奉行所で勤務。1869年6月、中泉奉行前島密(まえじまひそか)によって西願寺に仮教場(磐田中部小学校・磐田西小学校の前身、1873年4月に中泉学校となる)が開設されると、そこで児童の教育にあたり、以後、学校教育に携わる。

1875年、福田学校から中泉学校へ異動し、1881年、中泉学校の初代校長となった。1892年10月まで在職し、約2500人の児童の教育にあたった。1897年に逝去。

現在、磐田中部小学校校庭に記念碑が建てられている。

参考文献

  • 静岡新聞社 『静岡県歴史人物事典』 1991年
  • 磐田市 『磐田市史』 1994年
  • 磐田郡役所 『磐田郡誌』 1921年
  • 遠州文化センター 『中泉町誌』(復刻) 1923年
  • 磐田市教育委員会 『磐田の発展に尽くした人々』 1982年
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