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発見!いわた 「磐田の著名人」

牧野 正蔵 (まきの しょうぞう)

1915(大正4)年~1987(昭和62)年
オリンピック水泳選手 見付中学校出身

1915(大正4)年5月15日、浜名郡吉津村古見(きづむらこみ:現・湖西市鷲津)で生まれる。鷲津尋常小学校の頃より、社本校長の水泳指導のもと、浜名湖畔で厳しい練習を行い、1927(昭和2)年、全国児童水泳大会において自由形で優勝。

1928年、静岡県立見付中学校(現・磐田南高校)に入学。小林寛先生の指導のもとで大いに鍛えられ、「目標はオリンピックだ」と将来の夢を語る。翌年、日本中等学校水泳競技会の選抜東西対抗で、日本新記録を樹立する。

1932年、第10回ロサンゼルスオリンピックにて銀メダルを獲得。翌年、早稲田高等学院に入学。800m形自由形の世界記録を次々に更新し、「800m男」の異名を持つ。1936年、早稲田大学商学部に入学。第11回ベルリンオリンピックにて銅メダルを獲得。

1939年、日本窒素株式会社に入社。12月に召集され戦地へ赴き、1944年3月、日本に帰還。

1946年、日本電報通信社(現・電通)に入社。終戦後、日本の「水泳ニッポン」の立て直しのため日本水泳連盟が発足させた「指導委員会」の任に就くよう要請され、日本水泳連盟常務理事となる。電通名古屋支社を経て、1971年、傘下の名電広告社に出向し取締役社長に就任。

1987年2月12日、71歳で逝去。

参考文献

  • 牧野正蔵追悼編纂委員会 「牧野正蔵の想い出」 1988年
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