発見!いわた 「磐田の著名人」磐田の著名人

大箸 藤治郎 (おおはし とうじろう)
1808(文化5)年〜没年不詳

庄屋・商人

1808(文化5)年、農業と酒造業を営む大箸藤蔵の子として生まれる。1830(天保元)年、家督を継いだ。1842(天保13)年、壱貫地村(現磐田市壱貫地)の百姓代に選ばれ、翌年同村組頭に昇格した。1849(嘉永2)年から1851(嘉永4)年まで壱貫地村の庄屋を務めた。

大箸藤治郎は家業の酒屋を足場として金融業も営み、一代で天竜川流域ではその名を知らない者はないほどの在郷商人にのし上がった。近隣諸村(敷地村(しきじむら)・三家村(みつえむら)等五ヵ村・平松村外七ヵ村・中瀬村(現浜松市浜北区中瀬)外七ヵ村・松之木島村外七ヵ村等)からの郷借(ごうがり・村が土地や米などを担保にして貸付けを受けること)に融資したり、水防組合から頼まれ、川普請(かわぶしん)の諸色代(しょしきだい)を立て替えたりした。浜松藩や中泉代官の調達金にも応じた。開国後は江戸や横浜方面に米や綿・茶・生糸等を出荷していた。

また大箸家は天竜川の水防に尽力していたことでも知られている。藤治郎は天竜川治水の偉人・金原明善(きんぱらめいぜん)と交流があり、治水事業に協力していたという。

現在、大箸家住宅は「花咲乃庄(はなさかのしょう)」として住居の一部を一般に公開している。平成20年3月7日、主屋(おもや)や蔵等合計7件が国の登録有形文化財に登録された。

参考文献

  • 豊岡村史編さん委員会 『豊岡村史 通史編』 豊岡村 1995年
  • 豊岡村史編さん委員会 『豊岡村百話』 豊岡村 1996年
  • 鈴木要太郎 『金原明善—その足跡と郷土』 社団法人浜松史跡調査顕彰会 1979年