寺田 彦八郎 (てらだ ひこはちろう)
1846(弘化3)年〜1913(大正2)年
事業家
遠江国山名(やまな)郡福島村(現磐田市福田)に父寺田彦太郎、母美保子の長男として生まれる。寺田家13代目当主。父彦太郎に代わって1860(万延元)年5月、庄屋役に就任し、ともに地域の発展に尽力した。
1873(明治6)年4月10日、福田村戸長となる。1876(明治9)年12月24日には静岡県県会議員となり、1879(明治12)年5月26日、山名郡福田村村会議員に当選し、1899(明治32)年には磐田郡幸浦(さちうら)外5ヵ村組合村長に当選した。
父彦太郎と共に開墾事業、養魚経営にも進出し、わが国最古の事業であるウナギの養殖に1906(明治39)年初めて成功した。また、金原明善(きんぱらめいぜん)に協力し天城(あまぎ)の植林を造成したり、海岸に大防波堤を完成させ、沿岸農民の海水進入への不安を払拭するなどの功績をあげた。
1876(明治9)年1月から翌年まで『掌中雑誌』を筆記する。その主要な内容は、浜松県民会の設立、浜松県地租改正事業の進捗(しんちょく)状況などで、地域史研究の一助となっている。
1913(大正2)年6月23日、胃がんの為68才で没した。戒名は、「大光戒源居士」墓には「勤之豊勇彦翁命墓」と刻まれている。
参考文献
- 静岡新聞社出版局 『静岡県歴史人物事典』 静岡新聞社 1991年
- 福田町史編集委員会 『郷土の先覚者たち』 福田町教育委員会 1980年
- 福田町史編さん委員会 『福田町史 資料編5 近現代』 福田町 2000年
- 福田町文化財保護審議会 『福田町の史跡』 福田町教育委員会 2005年
- 寺田万司 『福養50年史』 (株)福養 1970年
- 静岡県近代史研究会 「静岡県近代史研究 第10号」 1984年
- 『福島村誌 全』コピー