村上 太三郎 (むらかみ たざぶろう)
1857(安政4)年〜1915(大正4)年
明治時代に実業家として活躍、後に衆議院議員に当選した
1857(安政4)年9月18日、掛塚町字川袋(かけつかちょうあざかわぶくろ)(現磐田市川袋)に生まれる。1868(明治元)年12歳で異母兄が商店を営む横浜へと向かった。様々な商店で商売を経験した後、1892(明治25)年36歳で、初めての事業となる東海屋鉄工場を創業。事業は成功し、仲買人組合委員(なかがいにんくみあいいいん)、仲裁委員(ちゅうさいいいん)や東京商業会議所議員(とうきょうしょうぎょうかいぎしょぎいん)等に選出された。そして1895(明治28)年、日本精製糖会社(にっぽんせいせいとうかいしゃ)創立において取締役に推薦される。その後は実業界において飛躍的に地位を確立し、日本石油精製、日本製粉、日本重石等の会社取締役となる。その他多くの企業重役に就任、数々の会社創立に関わり企業資本家としての名声を得た。
また1913(大正2)年には57歳で鉱山業に進出。金山や銅山を経営するなか、地下資源を有効活用し国富増進(こくふぞうしん)をはかろうと決意した。事業は順調に進んだが、翌年の1914(大正3)年58歳で肉腫という病魔に襲われる。これを機に実業界から身をひきさらに翌年の1915(大正4)年3月、静岡県第三区から衆議院議員に立候補し県下最高点で当選を果たした。目的を達成したもつかの間、翌月4月25日に59歳で逝去した。
晩年には子弟の育英事業に貢献し、故郷川袋区には土地・建物などを寄贈している。その偉業をたたえ川袋区住民により、1978(昭和53)年3月には村上会館記念碑が建てられた。明治維新前に生まれ維新後に活躍した村上は、時代の要求に働き、時代の求める産業振興(さんぎょうしんこう)に全力を奉げる生涯であった。
参考文献
- 鈴木 潔 『郷土の生んだ偉人』 竜洋町郷土研究会 1996年
- 竜洋町教育委員会 『竜洋町の史跡・文化財』 竜洋町教育委員会 1993年