横井 伝右衛門 (よこい でんえもん)
生年不詳〜1850(嘉永3)年
江戸時代後期の開拓者
豊田郡広瀬村掛下(現磐田市掛下)の横井家13代。家督相続(かとくそうぞく)の際に幼名の吉十郎(きちじゅうろう)から伝右衛門と名を変えた。
横井家は代々北条氏に仕えていたが、北条氏滅亡後に遠州地方に下り、天竜川東側の掛下村に住んで周辺地域の開拓に当たったという。横井家13代目となる伝右衛門のときが最盛期で、横井家中興(ちゅうこう)の祖と言われた。
遠州地方の治水・開発のために着任した幕府の普請(ふしん)役の犬塚祐市郎が村々に新田開発を命じ、伝右衛門は新田開発請負人(しんでんかいはつうけおいにん)として平松村の水野惣兵衛(みずのそうべえ)らとともに活躍した。
しかし度々の洪水や資金不足などで思うように進まず、村々から訴訟を起こされたり、おごりを重ねたという理由で、伝右衛門は1843年から1846年まで謹慎処分(きんしんしょぶん)を受けたりと災難な日々を送った。
その後も新開地を巡って紆余曲折があったが、伝右衛門の功績は旧豊岡村の新開区内に「横井新田」という大字(おおあざ)で残っていたことからしのばれる。
また彼の功績は遠江だけでなく、駿河・三河地方や武蔵国(むさしのくに、今の神奈川県)にまで及んだという。
参考文献
- 岩崎道夫 『豊岡物語 増刊号』 豊岡村 1988年
- 豊岡村社会科資料作成委員会 『わたしたちの豊岡』 豊岡村教育委員会 1991年
- 静岡新聞社出版局 『静岡県歴史人物事典』 静岡新聞社 1991年
- 豊岡村史編さん委員会 『豊岡村史 通史編』 豊岡村 1995年
- 豊岡村史編さん委員会 『豊岡村百話 豊岡村史別巻』 豊岡村 1996年