中根 金作 (なかね きんさく)
1917(大正6)年~1995(平成7)年
造園家
1917(大正6)年8月28日、米穀商・中根金次郎の長男として、磐田郡天竜村下岡田(現磐田市下岡田)に生まれる。1933(昭和8)年、静岡県立浜松工業学校図案科(現浜松工業高校デザイン科)に入学。翌年、父親が経営する店(三盟商会)が倒産し中泉へ転居する。1935年に浜松工業学校を卒業、日本形染株式会社へ入社。秋に大阪支店へ転勤。このころ、知人が造園業をしていることを知り、造園に興味をいだく。
1937年、会社を退社後、東京高等造園学校(現東京農業大学農学部造園学科)に入学。1939年、日中戦争に召集。1941年に解除、復学する。1942年の京都への修学旅行の際、講義や読書からの知識は空虚なものであり、空間に庭を造形する技術を習得できないことを痛感し、卒業後は京都の植木職で現場修行をする道を選ぶ。1943年8月に京都府園芸技手、翌年3月に結婚。同6月に再度、召集される。
1952年に京都府文化財保護記念物係長となり、鹿苑寺(金閣寺)の鏡湖池の修理(1956年)に携わった。
1965年に退職し、翌年、中根庭園研究所を発足。海外で多くの日本庭園を作庭し、世界が認める造園家となった。国内の庭では足立美術館日本庭園が有名で「人生の中でも最も充実した会心の作」と言わしめた。
1969年、大阪芸術大学教授に任命され、1987年には同学長を務め、国内外の芸術家の育成に情熱を注いだ。また1981年には、故郷の下岡田の宝珠寺の庭園を作庭した。
彼が作庭した庭は、国内外に300か所以上にのぼり「昭和の小堀遠州」といわれた。1995(平成7)年3月1日、77歳で逝去。
参考文献
- 浜松市美術館 『中根金作とその庭の美』1998年
- 静岡新聞連載記事「わが青春」1990年8月11日~1990年10月20日
- 中根金作 『京の名庭』 保育社 1976年
- 中根金作 『日本の庭園』 講談社 1981年