野口 休可 (のぐち きゅうか)
1614(慶長19)年~1680(延宝8)年
事業家
本名は甚九郎直勝。遠州中泉(現・磐田市)に生まれる。郷土の俳人野口在色の母方の伯父であり、養父でもあった。掛塚にて木材・廻船業を営み、江戸へ出向くこともあったという。
1643(寛永20)年、廻船業をたたみ、妻の実家に近い三州牛久保(現・愛知県豊川市牛久保)に移り住む(三河国吉田庄の野口村という説もあり)。かねてより源氏物語、古今集などの学門を好み詩歌や連歌に興味を持っていた休可は、和漢の学に通じ、弟子の教育に当たっていた義父・松平直信(三休)について、熱心に漢学を学んだ。
1650(慶安3)年、休可と改名する。
その後、舞阪宿の船着場三ヶ所の築造工事を請け負い、長い年月を費やしこれを完成させた。そのうちの一ヶ所、現存する船着場―北雁木(きたがんぎ)―は浜松市の有形文化財となっている。なお、ほぼ同時期に旧新居町(現・湖西市)の松山新田の開発も行い、1656(明暦2)年にはじめて検地を受けた。いずれも私財を投じてのことだったという。
その後、開拓した松山新田村に移り住み、津波により荒廃していた神田神社を再興した。後の1739(元文4)年、神田神社に休可大明神と称して合祀され、現在に至っている。
1680(延宝8)年11月2日に66歳で逝去。墓地は湖西市新居町新居の本果寺にある。
参考文献
- 静岡新聞出版局 「静岡県歴史人物事典」 静岡新聞社 1991年
- 寺田良毅「郷土俳人野口在色と談林十百韵」野口在色草崎顕彰会 2002年
- 新居町史編さん委員会「新居町史 第一巻通史編上」 新居町 1989年
- 新居町史編さん委員会「新居町史 第三巻 風土編」 新居町 1985年
- 柴田澄雄 「新居町史 資料編 五」 新居町教育委員会 1975年
- 史跡めぐり委員会「史跡めぐり 文化財のしおりシリーズ第1集」 新居町教育委員会 1978年
- 舞阪町史研究会 「舞阪町歴史散歩」 舞阪町 2006年